※本日の街宣は悪天候が予想されるため中止とさせて頂きます。参加検討されていた皆様には深くお詫び申し上げます。
2月22日は「竹島の日」。これは1905年(明治38年)1月28日の「島名を竹島とし、日本領土に編入し、隠岐島司の所管とする」閣議決定に基づき、当時の島根県知事・松永武吉が「島根県告示第40号」により、竹島の地名と隠岐島司の所管とする旨を公示したのが1905年2月22日である事に因んでいます。
上記より以前の17世紀末(江戸・元禄時代)、竹島から北西方向に約88km離れた鬱陵島への出漁をめぐって日本と李氏朝鮮との間で紛争が生じ両国間の外交交渉の結果、江戸幕府は鬱陵島への渡航禁止令を出し、その時以降より鬱陵島は李氏朝鮮ならびに大韓帝国側領土であると日本側には認識がありました。しかし当時の朝鮮側には竹島について認識は無く、朝鮮側には認識も無い竹島について両国間の往復文書でも一切、言及されておりません。当然、竹島については両国間の紛争はおろか外交交渉すら皆無でした。
国際法上でも歴史上でも紛れもなく竹島は我が国日本固有の領土なのです。
更に時は経ち1951年8月10日、韓国政府の竹島を韓国領にという要望をアメリカが「竹島は一度も韓国領であった事が無い」とラスク書簡で明確に拒否し、同年9月8日サンフランシスコ条約で竹島の日本保持が確定したにも関わらず、1952年1月18日に初代韓国イカレ大統領・李承晩が一方的に国境線(李承晩ライン)を設け、竹島は韓国領などとほざきだしました。その際に李承晩は竹島近海で日本漁船328隻を拿捕、日本人死傷者44名、3929人を抑留した事を盾に取り、在日韓国人犯罪者の釈放と日本在留を要求。
このような暴虐の限りを尽くしておきながら韓国はうそぶいて憚らず以後64年経過した現在に渡り竹島ならびに周辺海域を不法占拠。
2012年8月12日には大阪鶴橋の在日韓国人出身大統領・李明博(通名・月山明博)が竹島に不法上陸し、2013年10月25日には竹島で韓国軍が軍事演習までしでかし我が国を挑発した事で平和的に話し合う余地など最早あり得ません。
日韓の国交を断絶し武力で竹島を取り返すのみ。
集団的自衛権より以前に竹島奪還へ「個別的自衛権」を!
【日時】
2015年2月22日(日)
集合 14時00分
出発 14時30分
【場所】
新町北公園(大阪地下鉄・本町駅23番出口から南方向)
【主催】
日韓断交共闘委員会
・代表世話人 Regina
問い合わせ
dankoukansai@gmail.comまで
【日韓断交共闘委員会ブログ】
「ほぼ日刊 日韓断交」
http://dankou.exblog.jp/
【注意】
日章旗・旭日旗・Z旗・竹島あるいは日韓断交の趣旨に沿ったプラカード・幟・拡声器の持ち込み大歓迎です。
チマチョゴリなど日本にそぐわない服装はご遠慮ください。
ただ和装であっても現代日本ではコスプレ・仮装に該当するチョンマゲに裃や花魁などの格好は固くお断りいたします。
そして危険物とキレイゴトの持ち込みは厳禁とします。
余程の荒天でないかぎり雨天決行。
最後に詳細の告知が遅くなりました事をお詫びしますm(_ _)m