南京戦は、「支那事変」の初期に行われた戦闘であり、当時の支那は国家の体をなしておらず、軍閥割拠の状況にあり、臨時政府を名乗っていたのも、この時点で支那国内にはいくつもありました。
あくまで事変であり戦争ではありません。よって侵略戦争などあり得ません。
12月13日は南京城陥落の日です
それに合わせて支那共産党政府・習近平が30万人南京大虐殺wwの記念国家行事を行うらしい。
なかった事への追悼するとは相当変わったお国柄のようで呆れるが、呆れてばかりはいられません。
日本に対するブラックプロパガンダを一向にやめようとしない支那共産党政府に対し抗議の声を上げようと思います。
日本人1億2千万に対する支那人14億の大ヘイト!
捏造証拠しか出てこない南京大虐殺、一方証拠だらけの通州事件。
日本人は通州事件や通貨事件、済南事件など忘れてはなりません。
世紀に残る残忍非道の限りを日本人に対して行ったのは支那人なのです。
学校でしっかり教えるべきは嘘捏造された南京大虐殺ではなく証拠も揃っている通州事件なのです。
【日時】
平成27年12月12日(土)
(集合)14:00
(出発)14:30
※ 時間変更の場合告知<http://rinpuu44.blogspot.jp/>
【集合場所】
大阪市・靭公園
【現場責任者】
獅子座なお
【主催団体】
凛風やまと・獅子の会
http://rinpuu44.blogspot.jp/
当時、現地にいたフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズの手記。
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私が住んでいた北支の150マイル以内のところに、200名の男女、子供たちが住んでいたが、共産主義者によって殺された。20名はほんの子供のような少女だった。家から連れ出され、焼いたワイヤーで喉をつながれて、村の通りに生きたまま吊り下げられていた。空中にぶらぶらされる拷問である。共産党員は野蛮人のように遠吠えしながら、揺れる身体を銃弾で穴だらけにした。日本人の友人であるかのように警護者の振りをしていた中国兵による通州の日本人男女、子供たちの虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団屠殺として歴史に記録されるだろう。
それは1937年7月29日の明け方から始まった。そして1日中続いた。日本人の男、女、子供は野獣のような中国兵によって追いつめられていった。家から連れ出され、女子供はこの兵隊ギャングどもに襲い掛かられた。それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。酷いことには手足を切断され、彼らの同国人が彼らを発見したときには、殆どの場合、男女の区別も付かなかった。多くの場合、死んだ犠牲者は池の中に投げ込まれていた。水は彼らの血で赤く染まっていた。何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。中国兵が強姦し、拷問をかけていたのだ。
これは通州のことである。古い町だが、中国で最も暗黒なる町の名前として何世紀の後も記されるだろう。この血まみれの事件に380人の日本人が巻き込まれた。しかし120人は逃げおおせた。犯され殺された者の多くは子供であった。この不幸なおびただしい日本人の犠牲者たちは暴行が始まって24時間以内に死んだのだが、責め苦の中で死んでいったのだ。中国人たちは焼けたワイヤーを鼻から喉へと通し、両耳を叩いて鼓膜を破り、彼らの「助けてくれ」との叫びを聞こえなくさせた。目玉を抉り出し、自分の拷問者を見られなくした。アメリカ西部の開拓初期の頃のイロクォイ族もスー族もこんなことまで考案しなかった。(中略)
こういう事件が起こっているときも、その後も、日本帝国に住む6万人の中国人は平和に生活していた。彼らの生命や財産は、日本人たちとの渾然一体となった友好的な社会関係の中で守られていた。私は横浜のチャイナタウンを歩いたことがある。他の町でも遊んでいる中国人の子供を見つけた。
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死亡者の名簿も現場の写真も、生存者の手記も残されている。わが国では新聞や雑誌にも詳しく報道されている。ウィリアムズ氏の手記には誇張はないと思う。